(高校生。お花見)
「もーおっ、む、り、で、すーっ!ひっ、ばりさ、さ、先に、いっ」
「何甘えたこと言ってんの?このくらいの坂で降りるとか、冗談でしょ」
春の半ばの山中に人工の喧騒はないが、葉ずれの音、谷川の流れ、小鳥のさえずり、藪の中をなにか獣が走り抜ける足音、生命力にあふれて賑やかだ。木々を抜ける風は、芽吹きの青い香りを運んでくる。揺れる梢に見え隠れする小鳥たちは遠巻きにして、山道を登ってくるバイクの排気音と少年たちのお喋りを、見物しているようだ。
並盛町のはずれ、隣町との境にある小さな山には細い林道が通っている。自動車を使うものには隣町への最短ルートとして知られているが、坂がきつく人通りがないため、徒歩や自転車の場合、山を迂回する二車線歩道つきの国道の方へ回るのが普通だ。
その道を、ぎーっこ、ぎーっこ、とペダルをきしませて、綱吉が、自転車で登ってくる。立ち漕ぎをしている顔は真っ赤で、ひと漕ぎごとにふわふわの茶髪が揺れ、自転車は右に左に、危なっかしい。
「こんな低速で走るの、大変なんだからね。ほら、どんどん漕ぎなよ」
すぐ後ろにぴったりつけて、じりじりと煽っているのは、愛車にまたがった雲雀だ。フルフェイスのヘルメットのシールドを跳ね上げ、気持ち良さそうに春の風を受けて、涼しい顔をしている。時折わざとエンジンをふかし排気音を響かせて、ひいい、轢かれるー!と叫ぶ綱吉を見て、にやにやしている。
「だっから、さきに、行って、って……!」
は、は、と息が切れている綱吉に、バイクの雲雀が並ぶ。自転車の荷台にも、バイクのタンデムシートにも、荷物を入れたプラスチックコンテナがくくりつけてある。バイクに5kg、10kgの荷重が増えたところで大差はないが、自転車には命取りだ。特に坂道では。恨めしそうに横目で見る綱吉に、ふふん、と笑って見せて、雲雀は先を指差した。
「あとちょっとじゃない」
「ううううううう、」
喋るのは体力の無駄だとようやく気づいたのか、綱吉は唸り声を上げると、あとは無言で漕いだ。楽しそうに目を細める雲雀は、歌でも歌いだしそうな様子である。
「つ、つい、ついたっ」
サドルに手をついて、肩を上下させる綱吉の自転車を隠すように、雲雀がカタナを停める。
曲がりくねった山道は、舗装こそしてあるものの、乗用車がすれ違うには心もとないほどの道幅しかない。そのため、数十メートルごと、大きなカーブのたびに、待避所が設けてある。二人が愛車を停めたのは、山頂より少し手前の、そんな待避所の一つである。その待避所から山の中へ、土地の所有者がキノコや山菜を採るための獣道がのびている。この山の所有者の姓は、雲雀と言った。
「だらしないな、先に行くよ」
なかなか息の整わない綱吉に、口ではそんな冷たいことを言いながら、バイクに積んだものと、自転車に積んだものと、二つのコンテナをひょいと抱えて山の中へ分け入っていくのだから、綱吉には、もう、と唇を尖らせるのがせいぜいである。雲雀は、すぐにトンファーを持ち出すし、口を開けば毒舌ばかりで、理想的な恋人ではないはずなのに、ふとした時にこんな優しさを見せるから、付き合ってもう結構な時が経つというのに、好きだなぁ、と思う瞬間はちっとも減らない。ふう、と大きく息を吐いて、リュックから取り出したミネラルウォーターを一口飲むと、ざくざくと堆積した落ち葉を踏む、最近は見慣れて珍しくもなくなった、私服の背中を追う。
木漏れ日がちらちら踊る細い獣道を、少し山の中へ入ると、老木が倒れ、ぽっかりと空がのぞいている、広さにすると八畳分ほどの、小さな空き地がある。地面にまで光が届くので、春のこの時期、草が生え始めている。そのすぐ脇に、もみじの木にもたれかかるようにして、粗末な小屋があった。建てたのは、綱吉と雲雀だ。
「おおきなきがほしい」という絵本がある。何年か前、ランボとイーピンにせがまれて読んでやった綱吉は、何の気なしに雲雀に「木の上に小屋を作るっていいですよね。そんな大きな木もないから無理ですけど」と話しをしたら、「木、あるよ」といってよく晴れた日曜日にここへ連れて来られた。もちろん、素人の中学生二人が、いきなり木の上に小屋を作るなど無理な話で、何ヶ月もかかって地上に小屋を建てただけだった。しかし誰にも邪魔されない山の中での共同作業は、その頃はまだぎこちなかった二人の関係を、一気に親密にした。
いつもはこの小屋の周辺で、そろそろ挑戦するつもりの樹上の秘密基地の計画を練ったり、くず野菜などをまいて野生動物を観察したりするのだけれど、前を行く雲雀は今日は素通りで、さらに獣道を進む。綱吉も目的地はわかっているのか驚きもせず、ただ、小屋の斜めになった扉をぎいっと開けて、黒く煤けた一斗缶とやかんを持ち出すと、小走りに後を追った。一斗缶の中には、古新聞が一日分入っている。さわさわと風が抜けると、さっきの自転車漕ぎで浮かんだ汗が冷えて、綱吉は一度ふるりと震えた。
視界を、ちらちらと白いものが横切る。もちろん雪ではなくて、山桜の花弁だ。堂々とした大木が、木々のせめぎあいを縫うようにして、大きく枝を広げ、雲のような真っ白い花をいっぱいにつけている。木は切り立った斜面に、ごつごつした根を張り巡らせて立っていて、その下には傾斜のゆるい、比較的平坦な地面があった。雲雀はそこにコンテナを置いて、中から取り出したシートを広げている。
今日はここで花見をするつもりでやって来たのだった。
「オレ、火、やりますね」
一斗缶から新聞を出して、一枚とって固くねじる。そこらじゅうに落ちている乾いた小枝と枯葉を集めておいて、ねじった新聞紙の端に火をつけ、缶の底に置き、燃え移るように枝と葉っぱをそっと入れる。桜の頃の山はまだ肌寒い。日の当たる公園ならばともかく、木漏れ日しか射さない山の中では、じっと座って花見をするには、火を焚いて温かいものでも飲まなければ、風邪を引いてしまう。小さく炎が上がって、少し大きな枝を何本か入れると、綱吉はやかんを手にとった。この斜面の下に清水の流れる小さな谷川があって、その水を樋でひいて水汲み場にしているのだ。汲みに行こうと立ち上がったが、シートを広げて四隅にペグを打ち終えた雲雀がやって来て、やかんを奪ってまた置いた。
「雲雀さん?」
首を傾げる綱吉を、雲雀は、どん、とシートの上に突き倒した。
「わっ、な、何、」
尻餅をついて仰向けに倒れた身体に、雲雀が覆いかぶさる。
「うひゃ、……っ、」
パーカーの裾から冷たい手を入れられて、思わず目を閉じて悲鳴を上げた綱吉の鼻先を、少しかさついた肌がかすめる。雲雀の唇だ。ふふ、と低い笑い声と一緒に、息がかかる。高校生になってようやく筋肉がつき始めた腹を撫で回した手は、そのまま上へ上がってパーカーをめくり上げる。胸にひんやりとした山の空気が触れて、ひく、と細身の身体が竦む。
「さっき汗かいただろ。脱ぎなよ、風邪引くよ」
雲雀は、あらわれた白い肌に、ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音を立てて口付けながら、パーカーを上へ引っ張って、すぽんとひっくり返してしまった。両腕と頭が脱ぎかけのパーカーの中に入ってしまった綱吉は、何も見えないし、雲雀を押し返すこともできない。
「脱いだら余計に寒いです、」
反論してもくぐもった声は服の中で響くばかりで、聞いているのかいないのか、雲雀はくすくすと笑って、無防備な裸の胸に頬をすり寄せた。綱吉は、肌に直接触れる空気も、背中の下のシートの感触も冷たくて、ぞくぞくと鳥肌を立ててしまう。雲雀のにきびもない滑らかな頬はやっぱり冷たいけれど、時折かかる吐息や、触れる唇は温かくて、その差に穏やかでない気持ちになるのだ。
「ひ、ゃんっ……雲雀さん!」
寒さにつんと尖った、胸の色づいた部分に、ふっと息を吹きかけられて、思わず嬌声めいた悲鳴を上げてしまった綱吉は、ついに首と腕に絡まったパーカーを脱ぎ捨てて、胸の上の雲雀に抗議した。頬が吉野桜のように、ピンクに染まっている。
「かわいい、」
綱吉の叱る声など聞いちゃいない雲雀は、嬉しそうに目を細めて、子供の丸みを捨て始めたあごの先に、ちゅ、と吸い付く。
「そこに毛布入っているよ」
そして、自分が持ってきたコンテナを指差すと、やかんを持って沢へ降りていってしまった。
「……まったく、」
確かに、雲雀の荷物の中には大判のフリース毛布が入っていて、綱吉はそれを取り出すと羽織るようにしてぐるりとまきつけた。鳥肌の立つ肌を包んで、ふわ、と慣れた香りに安心する。
「雲雀さんの匂いがする」
毛布の端を顔に押し当ててから、自分の行動を恥じるように、慌てて立ち上がった綱吉は、聞く者もいないのに「たきぎ取って来ようっと」と口の中でもごもご呟いて、マントのように毛布をなびかせながら小屋まで走った。小屋を作る時に出た廃材や、倒れた木を適当にばらしたものなど、燃料にできるよう、小屋の中で乾燥させて保管しているのである。
「ふたつでいいかな」
縄でくくって束にしたのを、二束、片手に一つずつ持っていこうとして、ちょっと考えた後、ロープの束を腕に通してからたきぎを持った。
綱吉が、桜の木の下へ戻り、火のおこった一斗缶へたきぎを一本入れて、その近くへロープを張り、裏返しに脱いだパーカーを引っ掛けていると、沢のある、斜面の下のほうから、がこん、という大きな石がぶつかる音、それから、ばしゃん、という派手な水音がして、最後に、からんからん、という、アルマイトのやかんが石か何かにぶつかった、としか思えない音がした。
「……雲雀さーん?」
今の音から導き出される結論は一つである。綱吉は、ロープに引っ掛けた自分のパーカーを隅に寄せ、リュックからタオルを取り出し、暖かな橙色の炎を出し始めた一斗缶の上に網をのせた。さらに、自分の持ってきたコンテナの中から、急須とお茶、マグカップを取り出して、ブルーシートの上に並べた。折りたたみのちゃぶ台のようなものが欲しいな、今度ゴミ捨て場に行ってみようかな、などと考えた。
「………………、」
しばらく待っていると、ぱきぱきと枯れ枝を踏む足音がして、手足からぽたぽたと雫を垂らしながら、やかんを持った仏頂面の雲雀がゆっくりと上がってきた。悪いとは思いながらも、つなよしは、ぷ、と笑ってしまった。タオルを渡して代わりにやかんを受け取り、赤々と燃える一斗缶の上の網に乗せる。太い角材の切れ端に火が移っているから、しばらくはたきぎを足さなくても大丈夫だろう。
「すごい音しましたよ。転んじゃったんですか?雲雀さんが、珍しい」
「……いつも足場にしてる岩の下が、えぐれてたらしくて、乗ったら傾いた。水の中で膝突いて手突いた」
「先週の大雨で、川底の砂が動いたのかな。これじゃ、雲雀さんこそ、風邪引きますよ」
水しぶきが髪にまで飛んでいる。綱吉がくっくっと笑って言えば、雲雀は黙って長袖のTシャツとジーンズを脱いだ。それを受け取って、濡れたところを軽く絞ってからパーカーの横に干してやる。ちょうど風が吹いてきて、パンツ一枚になった雲雀が、くしゃん、とくしゃみをした。
「早く入って」
羽織っていた毛布を両手で広げると、雲雀がすばやく抱きついてきたので、綱吉はしなやかな背中をぎゅっと抱き返した。毛布の合わせ目を閉じて、二人で中にこもる。
「パンツまで濡れちゃわなくて良かったですね」
「ほんとだよ」
シートの上、火の前に座って、毛布の中で素肌を触れ合わせると、訳もなく笑い出したくなるような、くすぐったい気持ちになる。何度も汲みにいくのが面倒で、水はやかんいっぱいに入れてきたから、沸くまでしばらくかかるだろう。どちらからともなくごろっと転がると、仰向けになって桜を見上げた。花は盛りを過ぎて、まるい花弁をさらさらと二人に降り注いでいる。
「山桜、真っ白」
空に向かって伸ばされた綱吉の手をかすめるようにして、冷たくない雪がひらひらと舞う。赤みがかった若葉とともに白い花がまばらについている山桜の姿は、薄紅色の花だけが枝が折れそうなほどに咲き誇るソメイヨシノを見慣れた目には、みすぼらしいとも映りかねない。
「白い桜は好みじゃない?」
しかし頷きはしないだろう、と確信しているように、薄く笑って雲雀が問う。綱吉も笑って、緩く首を左右に振った。
「オレ、山桜、好きですよ。真っ白で、凛々しくて、綺麗で、雲雀さんみたい」
まだ芽吹いてもいない木も多い、茶系の色彩が支配する山の景色の中で、無骨な枝に色のない小さな花をつけて天へと向かう姿は、尊いような気持ちにさせる。照れもせずに言ってころりと寝返りを打ち、仰向けのままの雲雀の胸の上に、ぺたりと頬を乗せた。ふわふわした茶色の髪に指を差し入れると、もっと、と言うように目を細めて頬をすり寄せるから、雲雀は仔犬にするように、両手で綱吉の髪を撫でた。
「……沢田は夢を見すぎだと思う」
「そんなことないですよ、雲雀さんのね、白いシャツの背中、あの桜に似てる」
暗に、近づき難い、という感情を含ませた綱吉の言葉に、君の方が近づいて来てくれないんじゃないか、と雲雀は一瞬眉を寄せたが、口にはしなかった。
雲雀と綱吉が付き合っているということは、リボーンの他には、獄寺や山本にさえ、全く知られていない。雲雀という人間の性質のために、言葉を交わしていれば、綱吉が雲雀と親しい、というのは校内の者はわかっているだろうが、それは草壁とか、笹川了平とか、彼らと親しいのと同じレベルであって(草壁は友人ではないが)、綱吉が「特に」親しいのだと、そうは思われないようにことさらに振舞っている。雲雀も、綱吉が気を使うのは、半分は、町内で名の知られた彼のためでもある、ということがわかるので、不満はいくつかあれど、異を唱えずにいる。
そんなわけだから、綱吉のほうから雲雀に甘えるようなこんな仕草は、めったに見られない。だが、他に誰もいない、誰にも知られていない場所、という安心感があるのだろう、この山の中では綱吉は、じゃれあったり、行き過ぎていやらしいことをしたり、時にはケンカをしたり、恥ずかしがることもなく雲雀に甘えてくるのだった。
「真っ白で、凛々しくて、綺麗?……恥ずかしげもなく、よく言うね」
意地悪気に唇をゆがめて、綱吉の言葉を、指を折ってなぞってみせる。
「うーん、そうやって復唱されると、恥ずかしいな。でも、思ったままを言っただけです」
恥ずかしい、と言いながら、綱吉の顔には照れもない。
「……僕が、学校のソメイヨシノを見て、どんなことを考えてたか、教えてあげようか」
きっとそんなことは言えなくなるよ、と、体勢を入れ替え、綱吉の上に雲雀が覆いかぶさるようにすれば、綱吉は嬉しそうに雲雀の背に腕を回して、聞きたいです、とねだった。顔を寄せて、鼻の頭を擦りあわせると、くすくすと子供のように笑う。
「あの、薄紅色が、」
痩せた脚の間に身体を割り込ませると、腕で体重を支えるのをやめて、雲雀は綱吉の上にのっしりと乗り上がった。中学生の時にはこうすると、重い、苦しい、と無闇に抵抗されたが、ようやく修行の成果が体格にもあらわれ始めたこの頃は、優しく抱き返すだけで、嬉しそうに笑っている。押し倒し甲斐がある。(抵抗されるのが燃える、なんて、プレイの一環であればの話で、まるで雲雀が肥満体であるかのように、重い重いと本気で嫌がられたのは、とても凹まされたのだ。)
「沢田の唇とか、鼻先とか、目尻みたいだなぁ、舐めたいなぁ、とか、」
言葉をなぞって、下唇にかぷ、と歯を立て、鼻の頭をちゅう、と吸い、目尻にねっとりと舌を這わせる。
「窓から入ってきた花びらが、薄くて、柔らかくて、すべすべしてて、」
何も身につけていない胸がぴったり合わさって、とくとくと、どちらのものかもわからない心音が聞こえた気がした。
「君の指みたいで、口の中に入れちゃおうかなぁ、とか、」
目尻からそのままつうっと舌を動かして、象牙の細工物のような綱吉の耳殻を食みながら、耳の奥へ直接息を吹き込むように、凛々しくて綺麗と言われた白いシャツ姿でどんなことを考えていたのか、告げてやると、少し肌寒そうに、白かった頬が、ほんのりと染まった。
「雲雀さんのほうが、よっぽど恥ずかしい」
「だろう、」
どうしてそこでいばるんです、と可笑しそうに笑って、それからぎゅっと雲雀を抱きしめた。脚が絡んで、二人とも、綱吉の脚もジーンズをはいていなかったら良かったのに、と同時に思った。
「どんなこと考えてたって、やっぱり雲雀さんは山桜に似てますよ」
綱吉の唇が雲雀の前髪に、額に、目尻に、落ちる。
「君は変わってる、」
「普通」であることを好む、事なかれ主義の綱吉を揶揄するように雲雀は笑ったが、綱吉は怒ったりせずに楽しそうに笑っただけだ。
「そりゃ、雲雀さんを好きになるくらいですからね」
「……なるほど、」
遠くで間延びしたウグイスの声が聞こえる。まだ硬い殻を被ったままの木々の芽吹きを促すような柔らかな風が吹いて、二人の上に白い花弁が降り注いだ。
2010年4月11日リボーンオンリーイベント「第4回並盛中学校入学式」にて配布させていただいたペーパーより再録。他の話と設定が違ったり、他の話と同じ文章(…………)だったりした部分は直しました。恥ずかしい。すみません……(2011年4月15日)
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