(中学生。秋)
夏休みが過ぎて、文化祭が終わった。河川敷の、夏草の名残を残す緑の土手に、火の手が上がったように彼岸花が咲いている。金木犀の香りを乗せて吹き抜ける風に川面から河原までさざなみのように揺れる中、川沿いから道をそれて、並盛町から隣町へと抜けるうねった林道へと入る。木漏れ日の中をきつい勾配が続き、両脇に迫る里山は、驚くべきことに隣町まで地主は一人だ。
「雲雀さん、赤とんぼ、」
緩いスピードで勾配を苦もなく登っていく単車は二人乗り、運転しているのはこの辺り一帯の地主の親族である雲雀、その背中にぴったりとはりついて、フルフェイスのヘルメットのシールドを上げ、片手は雲雀の腰に回して片手はススキの束を持ち、秋の山の風景にきょろきょろと見入っているのが綱吉だ。ローギアのエンジン音に負けないように声を張り上げて、雲雀もヘルメットのシールドを上げる。アキアカネが四枚羽をきらめかせ、微風の中に舞っている。赤く染まった山桜の葉がはらはらと散った。落葉樹は冬支度を始め、梢を透かした日光が落ちる山は明るい。
単車を路肩へ停め、さくさくと落ち葉を踏みしめて歩く雑木林は、埃のような菌類の匂い、どこかに生えているらしい桂の葉の甘ったるい抹香の匂いなどがする。足の下の堆積した腐葉土と落ち葉の感触、枯葉を踏むぱりぱりさくさくという音、虫と鳥の声、斜面の下から聞こえる谷川のせせらぎ、ちらちらと視界の中を踊る木漏れ日、里山ののどかな秋が二人の五感に歌いかけた。
獣道を山の中へ入っていって、少し広く平坦な土地、作業小屋(というほど立派なものでもない、中学生二人がえっちらおっちら建てた、少し傾いた柱と、隙間だらけの屋根と床とがあるだけの掘っ建て小屋だ)の前にブルーシートを敷いて、座布団代わりのフリース毛布を広げると、赤と橙と茶のまだらになった山桜の葉が落ちて、毛布の紺色によく映えた。
ブラックジーンズの多い雲雀が珍しくチャコールのカーゴパンツを穿いて、淡い紫の長袖Tシャツと黒の薄手のパーカーをあわせている。背負っていた黒いデイパックを逆さにすると、ころころと柿が転がり出た。いつも身軽な人なのに、今日はカバンなど持ってどうしたのかと思っていたら、朝方、雲雀邸の庭の柿が色んでいるのを見つけて、持って来ずにはいられなかったらしい。綱吉の炎のような色だ。庭木だから農薬もかけていない。ごしごしと服でこすって、そのまま齧る。濃いインディゴの細身のジーンズに白いTシャツと大き目の橙色のスウェットパーカーを着た綱吉も自分のメッセンジャーから大きな水筒を出した。熱いほうじ茶が入っている。
風が吹くたび梢の揺れる音が雨音のようにさあさあと、赤、橙、黄、茶のさまざまな形の葉が舞う。おやつを食べ、お茶を飲み、さてと一息ついたところで、今日はただハイキングをしに来たのではなく、目的があるのだった。
「なんだっけ、クヌギの実?」
「どんぐりとか、まつぼっくりとか、何でもいいんです、」
つやつやと光をはじく小さなどんぐりの実は、何故か子供の蒐集欲を刺激する。綱吉はさすがにもう集めようとは思わないが、沢田家の子供達、ランボ、イーピン、フゥ太まで、どんぐり集めがこの秋の一大ブームなのだ。ただ、奈々に手を引かれて近くの公園に行って、手のひらいっぱいに集めればそれで満足だった幼かった綱吉とは違い、裏稼業に片足を突っ込んでいるからか、それとも三人いると張り合う気持ちが湧いてくるのか、三人の子供達はそれぞれ菓子の空き箱いっぱいにどんぐりを集めても、まだ足りないと言う。子供の足で行ける範囲の公園のどんぐりは、沢田家の三人のならず者があらかた拾いつくしてしまった。そうなれば甘えた声で名を呼ばれるのが綱吉である。いたずら盛りの子供を三人、山へ連れてくるなんて大胆な真似はできないが、雲雀との逢引で山の「秘密基地」へ行ったついでに拾ってやったら喜ぶだろう、何だかんだと言って沢田家の「お兄ちゃん」が板についてきた。
「公園のどんぐり、ちっちゃいから。ここで、大きいのや、あいつらには目新しい他の木の実も拾ってやったら、少しは騒ぎも収まるかなぁって、」
雲雀は柿の種をぷっと地面へ吐き出した。ヘビこそもう見かけなくなる季節だったが、座ってじっとしていると、秋の実りを求めてあちこちとせわしなく動き回る小鳥や小動物、虫たちの気配を感じる。冬の支度が始まっているのだ。そこへ雲雀と綱吉も今日は混ぜてもらって、巣篭もり前のリスの夫婦のように木の実を集める。ばかばかしい自分の想像にふっと笑った雲雀は、いいよ、と言って立ち上がった。
「カバンいっぱい集めようか」
「頼もしいお言葉!いくらなんでもそんなにいらないです」
笑いあいながら、木の実狩りが始まった。一口にどんぐりと言っても、縦に長いマテバシイ、もぞもぞした帽子を被った丸っこいクヌギ、一種類しかない公園とは違ってバラエティに富んでいる。松ぼっくりはアカマツ、ツガの小さな実も、振ってみるとプロペラのような羽根のついた種がひらひらと落ちることがあって、拾い集める綱吉を楽しませた。ツバキやトチノキは殻に入ったままの実も集めた。ヤシャブシもたくさん落ちている。
「そんなにいらないと思ったけど、すぐにカバンいっぱい集まっちゃいそうですね」
とりどりの木の実はブルーシートの上にもうこんもりと山を作っている。
「足りなくなったら僕のリュックも貸してあげる」
いくらでも欲しくなるもの拾いに行こうか、ついておいで、と雲雀は背を向けた。雲雀がそう言うのなら、それはとても良いものなのだろう、信じきって綱吉は、ただわくわくして後を追いかけた。学校や町で会っても、二人のことは秘密にしているからお互いにそっけない態度をとって後で落ち込むことが多いけれど、他に誰もいないこの山に来たときには、雲雀はわかりやすく優しい。綱吉も、無邪気に雲雀に甘えられた。
「ぁ痛っ!」
雲雀の後についてさらに山の奥へと踏み分けていって、前を歩く黒いパーカーの背中ばかり見ていた綱吉は何かちくちくするものを踏みつけた。
「何、……あ、」
緑と茶色の入り混じった、ロールの群れ、ではなく、栗の毬だ。こぼれ落ちた栗の実が、つやつやと光をはじきながらあちこちに落ちている。
「すごい、栗の木!」
「植えたのじゃなくて自然のだから粒は小さいけど、甘いよ。奈々さんに料理してもらったら?」
「そしたら雲雀さんとこに持って行きます!」
たしかにいくらでも欲しい。さっそくしゃがんで拾い集める。立派な木だけれど、雲雀家の私有地となれば侵入者もなく、小動物がいくつか持って行ったところで数は知れていて、手付かずのままたくさん落ちている。綱吉自身、現金だなあと自分で呆れてしまうが、食べられるものであると思うと集めるのにも力が入る。左右のポケットをリスの頬袋のように膨らませていっぱいに拾って、もうないかときょろきょろした綱吉の視界に、栗の木の根元で不適に笑う雲雀が飛び込んできた。
「まだありそうだよね、」
雲雀の脚が上がる。意図を察してさっと青ざめた綱吉が待って待ってと静止の声を上げても、雲雀はやめる様子を見せない。逃げよう、と辺りを見ても、大きく枝を広げた栗の木の下から逃れるには何秒か掛かりそうだった。綱吉はとっさにスウェットパーカーのフードを被った。直後、思った通りに雲雀の脚が、ゴッ、と栗の幹を蹴った。
「ぎゃあっ、いだっ、いたたた、ヒイイ」
雲雀の脚力に大きな栗の木の梢が末端まで震えて、丸く太った栗の実だけではなくて、鋭い毬、枯葉、小枝、毛虫や蜘蛛まで、ばらばら、ぱらぱらと綱吉に降り注ぐ。根元の周辺にはあまり実はないから、雲雀は涼しい顔をしている。
「雲雀さんの、鬼っ、悪魔っ、きちくっ!」
葉っぱまみれになった綱吉が涙目できゃんきゃんと吠え立てても、その顔が見たくてやっている雲雀には逆効果だ。
「フードにでっかい毛虫ついてる、」
「ギャー!」
悲鳴を上げて首を縮こまらせれば、嬉しそうに近寄ってきた雲雀が小枝でぴんと払った。
「あ、もう一匹いる」
「ヒッ」
びくびくと目を閉じた綱吉の鼻の頭に、ちゅっと音をさせてキスをする。
「見間違えた、ただの葉っぱだったよ」
「……っ、もう、ひば、雲雀さん!」
顔を赤くして怒る綱吉の、拳の届かないところまでさっさと距離をとって、ほら、拾わないの?とにやにやした。
「雲雀さん、意地悪い」
「意地悪は嫌いかい、」
「こんな時だけでも嫌いって思えないのが悔しいんです!」
怒った顔のまま、好きです!と叫ぶ綱吉に声を上げて笑った雲雀は、ポケットがいっぱいになったから一度小屋まで戻って全部置いてくる、ついでにお茶も飲みたい、と言った。
「君はどうする?」
「……オレはもうちょっと拾ってから行きます、」
ぷう、と頬を膨らませた綱吉は雲雀の背を見送った。
雲雀が乱暴に落とした追加分は綱吉のポケットにも入りきらず、すぽんとスウェットパーカーを脱いで、風呂敷のようにそこへ栗の実を包んだ。割と長めの時間が過ぎたように思うが、お茶を飲んでくるといった雲雀は姿を見せない。大漁!と見せ付けてやろうと意気揚々と向かった先で、雲雀は毛布に寝転がって寝息を立てていた。頭の脇に、水筒のフタが、もう湯気も立てない冷め切ったほうじ茶を半分ほど残して放置されている。落ち葉の上を歩いているから、かさかさと結構な音がしているはずなのに、寝返り一つうたない。
「ひばりさーん?」
声を潜めて呼びかけてみる。熟睡している。栗をそっと置くと、毛布の上を四つん這いで雲雀に近づいた。木々の間を縫ってスポットライトのように日が落ちて、まだらに温かい。さわさわと風が吹いて、ひらひらと舞い落ちた真っ赤な葉が、黒い髪と白い肌、全体的に彩度の低い雲雀の寝姿に鮮やかな彩りを添えた。
「……お疲れ様です」
文化祭、秋祭り、校外学習、皆が浮かれ騒ぐ秋の行事はたくさんあって、群れを咬み殺し風紀の乱れがないか監視していた風紀委員は忙しかっただろう。久しぶりの貴重な休日を、街を抜け出して綱吉と会うことに使ってくれたのだ。冷たくなったお茶をぐっと飲み干すと水筒を片付けて、雲雀にぴったりと寄り添って綱吉も寝そべった。じっとしていれば少し肌寒い。ん、と鼻を鳴らした雲雀は熟睡したまま綱吉に擦り寄ってくる。
「母さんに栗ご飯炊いてもらったら、一緒に食べましょうね」
「葉が落ちる音でも目を覚ます」という雲雀が、綱吉と二人きりではこんなに無防備に眠ってくれることが嬉しかった。木々の隙間から見える高い空と鰯雲、舞い落ちる色づいた葉と、鳥と虫の声、ぐりぐりと押し付けられる黒髪の頭。雲雀のおかげで子供たちへのおみやげはじゅうぶんに集まった。後は、日が暮れるまではこのまま楽しんでいようと綱吉はひっそりと笑った。贅沢な秋だった。
2011年10月10日リボーンオンリーイベント「REAL MAFIA 5」にて配布させていただいたペーパーより再録。「拾い始めると夢中になるよね」というタイトルで保存してました。夢中になるよね?(2012年12月24日)
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