長い石段をのぼると並盛神社の広い境内だ。夏祭りや年末年始には参道沿いに屋台が立ち並び多くの住民が集まってくる。秋祭りにもまだ早い今は、綱吉のだらしなく汚れたハイカットのコンバースが歩みにあわせてずるぺたんずるぺたんと鳴るのがよく聞こえるほど静かだけれど。
ほんのわずかなそよ風にも、赤や黄色、橙色に染まった桜の葉がはらはらと舞い落ちる。足元のを踏めばしゃりりと軽い音がする。春の花はもちろんだけれど、秋のさくらもみじ、色とりどりの葉が舞う様子も好きなのだと、雲雀が綱吉に語ったのはもう三年前、綱吉がまだ中学生だった頃の話だ。
身を清める手水舎があり、神楽を奉納する舞台を通り過ぎて、賽銭箱を置いた拝殿がある。それをじっと見て、中身が誰の懐に入るのかよく知っている綱吉は賽銭を納めたりしなかった。巨大で立派な賽銭箱の脇をすり抜けると、白木を組み合わせた格子の扉があって、その向こうにご神体を祀った本殿が見える。綱吉はジーンズの腰でちゃりちゃりと鳴っていたウォレットチェーンを引っ張って、その先についていた鍵の一本で、時代がかった大きな錠前を開けた。
漆喰の白壁と黒銀に光る瓦と白木の扉に守られた本殿は、周囲は真っ白の玉砂利が敷きつめられている。誰が来るとも限らないから白木の扉をぴたりと閉めると、しんとした静寂がそんなに広くもない空間を満たした。人の足のめったに踏み入れないここは、風に飛ばされてきた枯葉や枯れ枝がそこかしこに落ちている。
少し前まで境内のすみにある社務所には年老いた神主が住んでいたが、昨年に病で入院してからは、並盛神社は名実共に正式に風紀の持ち物となり、ここに常駐している人間はいなくなった。だからどうしても荒れる。ご神体を祀った祭壇の前、神事を執り行なうための板張りの床に近づくと、散り落ちた枯葉を手のひらで適当にざっざと払い、綱吉はそこへごろりと横になった。
寝転がってテレビでも観るように肘をつき、白木を組み合わせて装飾がなされた祭壇をじっと見つめる。以前の綱吉がこんな自分の姿を見たならば不敬が過ぎると怒ったかもしれないが、いろいろなことがあって、信仰とはなんだろうか、と今も考えている綱吉は、ことさらに神社を軽んじているわけではないがこういうことをするのにためらいを覚えなくなった。特に風紀の管理下になったこの並盛神社では。
ふ、と息を吐き、ぱたりと仰向けに大の字になった。目を閉じると静寂の中に色々な音が流れ込んでくる。さやさやと風が木々の梢を揺らし、石畳の参道の上を乾いた落ち葉が滑るかさかさという音。それから、遠くから聞こえてくる鳥の声。ひよどり、めじろ、はしぶとがらす、一年中そこかしこで姿を見られる鳥たちだ。そろそろ北の国から渡ってきてもいい頃だけれど、冬鳥の声は聞こえない。
鳥の声なんかに全く興味のなかった綱吉に、あれこれと教えてくれた人は今は並盛にはいない。半年前、四月のはじめ、高校を卒業したばかりの雲雀は、ちょっと出かけてくる、と全く気軽な様子で旅に出てしまった。
雲雀が並盛を離れるなんて、と驚いたのは雲雀をよく知る者の本人以外全員だ。参道の桜並木がつぼみをほころばせる頃、この本殿に並んで座って、並盛以外の世界を知らなければ並盛の秩序は守れない、と雲雀は言った。
そう思うようになったのは綱吉と出会っていろいろなことを経験したからだ、とも。
綱吉のことを好きになったから綱吉から離れること(一時的とはいえ)を望んだというのは、なんだか皮肉な気もする。
それでも、冬鳥が並盛に渡ってくるころには一緒に帰ってくるよ、と一方的な約束をして、桜が散ったばかりの並盛から、手ぶらなのかと思うほどの身軽さで雲雀は旅立った。
秋になり、これから冬が来て、春になれば、綱吉は高校を卒業する。卒業後は本格的に「十代目」に専念することがもう、決まっている。中学を卒業する時は家庭教師に「高校くらいは出とけ」と言われたし綱吉ももう少し学生気分でいたかったが、今度こそ「勉強が好きでもねーくせにもったいねー」と言われ綱吉自身もそう思ったのだ。
不安しかない、見切り発車の将来が綱吉の目の前に広がっている。
すぐ近くの椿の茂みから、ひぃーよ、ぴぃ、ぴぃ、とどきりとするほど大きな声を上げてひよどりが二羽飛び立った。どきどきと鼓動を早めた胸を押さえて、ふ、と息を吐く。
不安を感じる時、未来が見えない時、雲雀に会いたいと思うのは依存なのか、綱吉は雲雀が旅立ってからずっと考えている。
雲雀という規格外の人間が恋人であるからこそ、自分の足できちんと立てる人間になって隣に並びたいというプライドはもちろんある。けれども路上からかさかさと落ち葉の舞う音が聞こえるような風の強い長い夜、不精をして冬布団を出さないままでいるベッドできじばとの声に目覚めて震えるほど冷え込んだ青い明け方、雲雀にだきしめて欲しいと思うのもまた、本当のことだ。
雲雀は振り返らずに旅立った。未来の並盛を、――つまりは未来の綱吉を――守るために、今、綱吉から離れて旅立ったのは「愛」だと、相変わらず沢田家に居候している二人の家庭教師は言った。では、その雲雀と今会いたいと思っている綱吉の気持ちは、「愛」ではないのだろうか。
本殿の板張りの床の上で仰向けになり、ぴくりとも身動きせずに考え込む綱吉の足元に、ぱたぱたと軽い体重が舞い降りた。小さな小さな鳥。
「……びんずい?」
びんずいは、北からやってくる冬の鳥だ。確認する間もないまま、すぐに再び飛び去ってしまう。はっとして身体を起こす。するとすぐに、先ほどひよどりが飛び立った椿の木のてっぺんに、ひよどりよりは小さいがびんずいよりは大きい鳥がとまり、ぎちぎちぎちぎち、と大きく鋭い声で鳴いた。もずだ。びんずいはもずに追われていたらしい。
慌てて立ち上がる。じゃらじゃらと大きな音を立てて白い玉砂利を踏み、白木の扉をばたんと出て、かんぬきをかける。走り出そうとして一瞬立ち止まり、ご神体の方を向いて場所を借りた礼に軽く会釈した。それから猛然と走り出した。
山の上で夏を過ごしていたもずが、平地の、並盛までおりてきたのだ。予感のようなものがあった。きっと、雲雀もやってくる。
相変わらず怠惰を好む綱吉だけれど、鍛えられたおかげで、街外れの神社から中心部の並盛駅まで、全力疾走するのに何のためらいも覚えなかった。汚いコンバースが擦り切れそうなほど強く、足はアスファルトを蹴った。会いたい。一秒でも早く。
綱吉が雲雀を思う気持ちが依存なのか恋なのか愛なのか、雲雀の顔を見たらきっとその瞬間にわかる気がした。
2012年10月8日のREAL MAFIA 6にて配布させていただいた
「秋深し隣は何をする人ぞって隣人がひばつなだったらいいと思うペーパー」
からの再録です。
10年後のひばつなの関係を考えると
中学生からあの境地へ達するまでに
お互い一人で相手のことをじっくり考える期間が長くあった気がするのです
2014年1月17日
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