金曜日があと少しで土曜日になる、22:19。テレビの前にどっかりと据えてあるビニールレザーの三人掛けソファに、右手にはヱビスをなみなみ注いだコップ、左手にはプレステ2のコントローラを持ち、着古したスウェットの上下をだらしなく身に着けのんべんだらりと転がって、心が浮き立つ週末のひとときを満喫していた、ボンゴレファミリー十代目ボスであり(有)ボンゴレファミリー社長であるところの沢田綱吉は、どがっしゃん、と凄まじい音を立てて開けられた玄関ドアに驚いてとび上がった。ヱビスが少しこぼれた。
「さわだァ!」
そんな風にドアを扱う人間なんて、綱吉の心当たりは誰も彼もありすぎるほどだったが、窓を揺らすような大音声は、ただ一人のものでしかあり得ない、涼やかなアルト……よりもちょっと、いやかなり、浮ついているような。
「……ひばりさーん?」
何故だかいやな予感がして、小声で呼びかけながら、そーっと歩いていって薄暗い玄関ホールをのぞきこんだ。その瞬間、
「ヒィ!」
綱吉は肝をつぶして悲鳴を上げ、玄関ホールの照明をつけると、侵入者に駆け寄った。
「ななな、な、何やってんですか!!」
たいそう意外なことに、雲雀恭弥は下戸である。しかし厄介なことに、酒を飲むのは好きである。大概は、ひとくちふたくち、アルコールを口にすれば、ご陽気満足、そののちに、ぐっすりすやすやお休みになってしまわれるが、ごくたまに、さまざまな要因が重なって、女豹ならぬ女トラ、がご降臨あそばされる。今、この時のように。
「ちょ、服、わーっ!!脱がないで!着て!着てください!」
入ってくるなり、玄関を開けたままパンプスも脱がずにストリップを始めた雲雀は、ふわふわと嬉しそうに笑っている。綱吉は玄関ドアを光の速さで閉めた。ばたーん、と風圧で、雲雀の黒く短い髪と、Yシャツの襟もとと、下着に飾られたレースが揺れ……
「だから見えます!見えてますってば!」
「見せてるのさぁ、」
ネクタイは解かれて、スーツとYシャツの前ボタンは全開、その間から、象牙色の滑らかな肌と、レースに縁取られたミントグリーンのブラジャーが、綱吉に「よっ!」とばかりご対面している。
「嫁入り前のお嬢さんが、こんな簡単にご開帳しちゃあ、いけません!」
雲雀は、玄関の上がりかまちにぺたんと座り、上気した顔で、いつもの黒いスーツを半脱ぎにしている。いくら彼女が中性的なパーソナリティであると言っても、もうとうに学生の頃は過ぎ去っている。スレンダーな身体は、さらにウエストできゅっとくびれ骨盤に向かって曲線を描き、お腹の辺りも、しなやかな筋肉の上を、薄いながらも柔らかそうな皮下脂肪が覆って、ヘソに向かって縦線がすうっと入っている。少したくましすぎるきらいはあれど、大人の女性の身体だ。こう言って許されるのならば、ぶっちゃけ、大変いやらしい。黒いスーツをきっちりと身にまとっている時の少年のような印象とのギャップがあるから、なおさらである。綱吉はできるだけ直視しないように、さっと近づいて、ぐしゃぐしゃに乱れた雲雀のYシャツの前を、指が肌に触れてしまわないよう細心の注意を払いながら、がさっと掻き合わせた。しっかり前を合わせて、「めっ」とするつもりで雲雀の顔を見ると、目が合って、女王様はにっこり笑った。ひく、と綱吉の顔が引きつる。まずい。やばい。
「ひ、ひばり、さん、」
細くて長くて、少し間接が出ている、トンファーたこのある指が、Yシャツを握りしめたままの、闘うこぶしをささえる手首を、がしっと掴む。そのまま、ば、と前を開かされた。イヤー!といい歳した男が女の子のような悲鳴を上げながら、綱吉は赤くなればいいのか青くなればいいのか、じわっと涙ぐんだ。
「さわだ、見て見てこれ、すごくない!?」
両腕を掴み掴まれたまま、雲雀は胸を誇示するように、ぐっとそらして綱吉につきつけてくる。愛らしさと品格を兼ね備えたシャーベットカラーのサテン地に、濃い茶の糸で、小枝の茂る木立や、うさぎさん、小鳥さん、仔鹿さん、リスさんなど、森の情景が刺繍され、カップの縁取りは茶のゴージャスなケミカルレースである。ファンシーでありながら全体的には甘さを抑えて大人可愛く、ぱっと目を惹く。惹かれていいものかはともかくとして。
「かっ、かわいい、し、しっ、したぎ、ですねっ!!」
視線を泳がせて、冷や汗をかきながら、綱吉が何とか、無難に過ぎる褒め言葉を口にすると、雲雀は不満そうに唇を尖らせた。
「可愛いんだけど、そうなんだけど、そうじゃなくて、谷間!」
「たにっ、」
言葉につられて思わず、綱吉は、雲雀のその部分に視線をやってしまった。丸く成形された布地に、おそらく原型はかなり慎ましやかであったと思われるささやかなふくらみがぎゅっと押し上げられ、身体の中心にくっきりと、これぞ浪漫!とでも言うべき陰影が描き出されている。不二子ちゃんのような、とは言わないが、紛うことなき谷間だ。
「このブラなら、ぼくにも谷間ができるのさぁ、ほらぁっ」
雲雀は、昔から、野生の肉食獣を思わせる、しなやかな身体をしている。もちろん、普段直接目にするのは腕や脚の、一部分だけであるが、綺麗についた筋肉が浮き上がって、複雑な陰影を描く様は、美しい。トンファーを牙にして駆ける、雲雀の生き方そのものだと綱吉は目にするたびに感嘆する。けれど同時に、確かに、同じく綱吉の守護者である、驚異のトランジスタグラマー・クローム髑髏や、脱いだらすごい鬼教官のラル・ミルチと並べば、女性らしい丸みは少なく、痩せた、鋭角の印象の強い身体つき、ではある。
「……気にしてたんですか、」
思わずぼそりと呟くと、聞き取れなかったのか、なに?と雲雀は首を傾げた。それに、いいえ、と首を横に振る。雲雀はそういうことにこだわるタイプには見えないので、意外な思いがした。第一、クロームのような術士ならばともかく、雲雀の戦闘スタイルでは、凹凸の多い体型は不利であろう。戦闘マニアの彼女が、そんなことを望むとは思えない。
「これで、文句は言わせないんだから!」
なにやら憤慨した様子の雲雀が呟く。綱吉はそれを、ん?、と聞きとがめた。
「誰かに何か言われたんですか?」
握られた両腕をそっとほどいて、スーツの前をもう一度合わせる。今度は抵抗されなかったので、心の底からほっとした。雲雀は、酔っ払って真っ赤な頬を、ぷう、と膨らませて、ぷい、とそっぽを向く。
「別に、誰にも何にも言われてない!」
「そうですか、」
苦笑した綱吉は「言われたんですね」という呟きを心の奥にしまって、よしよしと雲雀の黒くて丸い頭を撫でた。
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