日本生まれ日本育ちのボンゴレ十代目が、日本の一地方都市、関東地方の並盛町の地下に建設中のボンゴレファミリー新本部。天才といえば聞こえはいいが、発明オタク複数と戦闘マニア複数が、ひざを突き合わせて設計した巨大な地下の城砦は、その大きさと精密さから、完成まで数年を要すため、すでに完成した部分から「入居」が始まっている。

 地底の城の、いったいどのあたりに、十代目沢田綱吉の執務室が造られているのか知る者はいない。いやもちろん、いないわけはないのだが、いない、といって差し支えないほどの数しか知る者はいない、ということだ。

 何千、何万、イタリアを中心に世界中に散ったどれほどの数がいるのかわからない構成員、末端はもちろん、建設中の新本部に直接出入りしているような顔ぶれだって、ボスのご尊顔を拝むことができる場所といえば、大会議に出られるような身分なら会議室(冗談交じりに「謁見の間」と呼ばれている)、それから外出の見送りのエントランスホール(十重二十重に囲んだ幹部構成員の隙間からちらりと)、十代目がそのきらきらしいオーラを消してさりげなく混ざっている、というまことしやかな噂のある第一食堂(見つけられるものならば!)、その程度だ。
 まあ、直接十代目の顔を見なければいけない用など、一般構成員にそうそうない。(見られればしばらく幸せになれる、とは言われている。いろいろな意味で。)これほどの巨大組織で、執務室に直接出入りするなど、ほとんどの者が一生に一度、あるかないかだ。

 ボスの部屋といえば最深部に決まっているだろう、いやいや、万が一のことがあったらどうする、脱出しやすいように上層のはずだ、など時々は話題になったりもするのだけれど、麗しのボスの安全を守るためならば、と必要以上に詮索したりはしないのだ。

 けれども、執務室、さらに、存在すらあやふやなプライベートルーム(ボスはこの新本部に住居があるという噂はほんとうだろうか?)、まったく雲の上にあるようなそれらとは違って、十代目が私的に使っていて、どこにあるのか多くの者が知っている、けれど誰も入ることができない、そんな場所が、ボンゴレ新本部にはある。

 間違いなく、新本部の最深部の一部。
 地表からはあまりにも距離がありすぎて、その不便さから、ちょっとした都市ほどもある地下アジトの生活を支える、発電、排水浄化、送風など、施設維持のための主な機能が、外部からの攻撃に一網打尽にならない程度の配置でかたまっているその一画。

 上層部から直通の、高速エレベータが静かに開く。
「十代目、」
 食料の安定供給と、籠城にも備えて、水耕栽培の野菜工場を設けたフロアを、ノーアイロンのカジュアルな白シャツにぶかぶかのジーンズをあわせ長靴をはいたボンゴレ十代目、沢田綱吉がのんびりと歩いてくる。野菜工場の管理に雇われている若い技師がそれに気づき、微笑んで頭を下げた。技師にとっては本来、一生顔を合わせずに済んでもおかしくない、まさに雲の上の雇い主のはずなのだけれど、顔見知りの様子で、口調にもどこか気安いものがにじむ。
「調子はどうですか?」
「うん、ありがとう。教えてもらった通りにしてみたら、ぐっと元気になったよ。お勧めの本も届いたから、ほら、これ」
「ああ、それはよかったです。また何かあったら、どうぞご相談ください。自分たちは戦闘はできませんが、こういうことなら」
「いつもありがとう。戦闘なんてね、オレができれば。みんながここを守ってくれるから、安心して出かけられるんだ」
 心から腰を折り頭を下げる技師の前を通り過ぎ、なかなかに広い野菜工場の前を通って、つきあたりの扉の前に立った沢田綱吉は、タッチパッドを操作しパスワードを打ち込むと、一人、扉の向こうに消えた。

 そこは、いつの頃から、誰からともなく、秘密の花園、と呼ばれている。

 地下深くに潜む、ボンゴレファミリー新本部、巨大な城塞。建設に際して、年若い、むしろまだ幼いという言葉が似合う、日常生活においては流されがちなボスは、自分が城の主であるという自覚もあるのか怪しいほど設計に口を出さなかった。他人事のようであった。
 獄寺隼人や、山本武や、笹川了平や、六道骸、アルコバレーノにヴァリアー、キャバッローネのボスに、トマゾのボス、さらには三浦ハルまで、いろいろと口を挟んでくる周辺の意見はいくらでも取り入れるくせに、沢田綱吉は特に希望はないと言う。
 ボンゴレ十代目の家庭教師となって四年目のヒットマン、リボーンは、肝心のボスのその態度に赤ん坊の薄い眉を寄せたが、別に投げやりな風でもないから、特に咎めはしなかった。
 有事に備えて、設備はずいぶん余裕を持った設計になった。攻撃を受けていくらか壊れても、人員がじゅうぶんに逃げ込め、どこにでも司令室を動かせるように。非常用電源や、水や食料の備蓄スペースは各階層に設けられた。地下水の浄化施設、下水の浄化施設、それに地下農園。

 沢田綱吉が高校三年に進学した頃、地下の工事は秘密裏に始まった。

「すみっこでいいんだけど、地下農園、少し分けてもらえないかな」

 ずっと口を閉ざして、差し出される企画書、計画書、設計図、進捗報告に頷くばかりだった彼が、突然そんなことを言い出したのは、高校卒業を目前に控えた、今からおよそ一年前のことだった。大学には進学せず、高校を出たらボス業に専念することはもう、高校生になったばかりの頃に決まっていたから、巨大な城の工事は半分も終わっていなかったが、当座、日本にいる十代目とその周辺が生活するための部分は完成していた。第一地下農園もそのひとつだった。

「花とか、育ててみたくて」

 沢田に近しい者ほど、その言葉にひどく驚いた。

 母親から受け継いだ肌の白さと頬の丸さ、透き通った瞳、父親から受け継いだ色素の薄い、ふわふわした髪、高い身長と均整の取れた骨格。未だ、洗練、という領域には至ってはいなかったが、それは歳を重ねるほど花開き、18歳の沢田綱吉の容姿を表現するのに一番近い表現は、といえば、華麗、であったかもしれない。何かの式典でイタリアの本部、九代目と並び立つ盛装をちらりと、見ただけのような連中なら、その極東に咲く花のような姿に夢を見ているらしいから、まさに十代目にお似合いで、と手を打ったかもしれないが。

 趣味は、ゲーム、漫画、アイドル歌謡を聴くこと。彼と親しければ親しいほど、植物を育てるなどということからは縁遠い人間であると知っている。

 別に、構造は余裕があるし、一区画まるまる沢田専用の農園を造ってもかまわないのだ。ただ、なぜそんなことを言い出したのかが、気になる。

 誰もがそう思い、単刀直入に、遠まわしに、世間話のついでに、誘導尋問で、いろいろな方法で、突然ガーデニングをやりたがった理由を聞き出そうとしたが、リボーンの施したボス教育はこんなときばかり成功していて、のらりくらりと、巧みな話術で、作り物の「儚げな笑顔」で、「ヒミツ」と媚を売るしぐさで、尋ねた全員に違う答えが与えられ、正解は本人の口からはついぞもたらされなかった。

 仲間たちはふってわいた謎にどこか不安を拭えなかったが、初めてのボスからの要望に技術者たちは浮かれ色めき立ち、さっそく沢田のもとへ出向き、うきうきわくわくと打ち合わせた。それは沢田と技術者チームだけで内密に行われた。
 技術者からリボーンに上がった報告書によれば、沢田綱吉からの条件は、細かいものはいくつかあったが、大まかに言えば、水耕栽培ではなく土を入れること、何も植えていない状態で沢田綱吉に引き渡すこと、入り口にはパスワードを自由に決められる鍵をつけること、の三つだった。

 それをそのまま受け入れれば、地下深くにただ土を運び込んだだけの、殺風景な区画ができたことだろうが、そこは表向きにはできずとも世界屈指の技術力を持つボンゴレで、太陽の代わりの照明は地上の日照時間とリンクしたタイマーがつけられ、地上の気温をリアルタイムで再現することもできる特製のエアコン、スプリンクラーを改造しスイッチひとつでかなりリアルな雨を降らせることができる機能もついた。
 さらに、九代目の過ごすイタリア本部の園丁まで呼ばれ、「庭」としての体裁を整えるため、植栽こそしないものの、無機質な印象のある地下区画の隔壁を目立たなくするために、イタリアから輸入した黒いアイアンの柵が壁面に取り付けられた。園丁の提案で、隅には杉材にオイル塗装をした可愛らしい道具小屋(もちろん一通りの道具入り)が設置され、もうこれでじゅうぶんだという十代目を、技術者と園丁が束になって説得して、作業に疲れた麗しのボスが一服できるような、美しい石造りのあずまやまでもが据えられた。運び込まれた材料の中に、大量の布製品が含まれていたから、おそらくそこは横になって休める構造になっているだろう。
 また、沢田からいろいろと農園に対する要望を聞くうちに、運び込む土は殺菌をしない畑土にすると決められた。どういうことかといえば、そこには雑草の種も、ミミズや虫も、病原菌も、いろいろなものが混ざっていて、そこで何かを育てるのなら、草むしりをしたり、ミミズを死なせないようにしたり、草花の病気と闘ったりしなければならないということだ。打ち合わせで、十代目がそれをことさら喜んだ、と技術者たちは後に語った。

 出来上がった十代目専用の「庭」に、立派に造ってもらったのに初心者のガーデニングじゃ恥ずかしいから、と言い、最初は沢田以外の誰一人、入れなかった。いや、わからない。守護者たちとリボーンはそう把握しているが、最初から入っていた者はいたかもしれない。

 しばらくして、第一地下農園の方にイチゴを分けてもらいに来ていたクロームが、ボスの庭からイーピンが出てきたのを見た、と言って帰っていった。「えっ」というのが全員の偽らざる気持ちである。もやもやする気持ちを抑えられなかった獄寺が、昔のよしみで、知り合いの小さな子を気にかける風を装って、小学三年生になった中華爆発娘に訊ねた。
 別に、何の口止めもされていないようだった。元殺し屋の少女は、沢田さんが、中国ハーブの、香菜の種まきしたのを、間引きするけど、料理に使う?と連絡をくれたので、たまには南方の料理もいいかなって思って取りに来ました。と、屈託なく答えた。実際に、イーピンの持つビニール袋に入っていた、イタリアンパセリに似た、けれどカメムシのような匂いのする濃い緑の草の芽も見せてもらった。
 十代目はいったいどういうおつもりでこんなことを、「庭」で過ごす十代目はどんな様子だった、と詰め寄りたい、はやる気持ちをぐっとこらえて、ただ、よかったな、と返すと、イーピンは何かを思ったのか、それとも子供ゆえ何も考えてはいないのか、ふと目を細めて、あんなに楽しそうな沢田さん久しぶりに見ました、と言った。

 それで、獄寺をはじめほとんどの者が、害がない限りは、もう「庭」について追求するのをよそうと思った。

 本格的にマフィア業を始めたばかりの十代目には、何か、今までにないような気分転換が、休息が、必要なのだと。
 その拳で炎を燃やして、壊して、奪って、そんな仕事の間に、同じ手で慈しみの雨を土に降らせて、小さなやわらかいものを育む、そんな時間が、必要なのだと。

 イーピンの後、子供の特権で「庭に入りたい」とだだをこねたランボが守護者の中で唯一入室を許可され頭を雑草の花だらけにして出てきて、ピーマン食べろとフゥ太が呼ばれ、リボーンとビアンキが招待され、つまり、「沢田家の子供たち」だけが中に入ることができるようだった。
 ただしリボーンは、辛気臭ぇ、とだけ感想を述べて、最初の一度きりで二度と足を踏み入れなかった。ビアンキもそれに倣った。仕方のない子ねえ、と困ったように笑っていた。

 最初には「みんなでやろう」と新本部に持ち込まれた大画面の最新型テレビも各種のゲーム機も、いつの間にか数ある休憩室のひとつですっかりほこりをかぶって、最近の沢田綱吉は、そう多くはない余暇のほとんどを、「庭」で過ごしているのだった。

 花園の入り口を守る鍵は、執務室や幹部の居住区のロックに比べたら、アナログでちゃちなものだ。武力で破ろうと思えば、拳銃のひとつでもあればたやすい。けれど、だから、それゆえに、沢田綱吉だけが知るパスワード、花園の入り口は彼の心の扉に等しい。  招かれざるものが無理に入れば、永遠に閉ざされてしまう。壊れてしまう。