並盛中学校には、鉄筋コンクリート造の新校舎と、渡り廊下でつないで、中庭を挟んで正門からは裏側になる、木造の旧校舎とがある。
 新校舎はぴかぴか光るリノリウムも美しく、各学年のホームルームや職員室、保健室などが使われているが、理科室、家庭科室、音楽室、美術室など特別教室は、旧校舎をメインに使う。木造の校舎は、ホームルームとして使われなくなってからというもの、どうしても掃除の手は行き届かず、黒光りしていた床板も白くくすみ、廊下の隅には埃がたまっていることもある。
 いろいろな意味で雰囲気たっぷりの旧校舎には、ある、一つの噂がある。噂自体はよくある話だ。曰く、「幽霊が出る」。ただし、その幽霊の素性が変わっている。名前は、ヒバリさん。出る場所は、応接室。風紀委員の男子生徒で、他校の不良の校内侵入を防ぎ、相討ちとなって死んだ彼は、死んだ後もなお、並中の風紀を守っているのだという。
 やくざ者の出入りでもあるまい、たかが中学生のケンカでそんなことが、とも思うが、旧校舎の壁にラクガキをした者が姿の見えない何者かに鈍器で殴られた、という事件は実際にあったことだし、ほかにも、旧校舎のトイレを詰まらせた者が発覚を恐れて逃げる途中に階段から落ちたとか、旧校舎の特別教室に忘れ物を取りに行ったら無人のはずなのに足音を聞いたとか、そんな話がいくつもあれば、もう中学生の間では「ヒバリさん」はまちがいなくいる、ということになっている。

 沢田綱吉は夜の並中で、両手にミトンをはめて震えている。傍らには、黒いスーツに中折れ帽の幼児が、拳銃を手に立っている。
「ゆ、ユウレイと戦うなんて無理だろ!」
「相手は死んでんだ、「死ぬ気」でやるにはピッタリじゃねーか」
 わかるようなわからないような理屈でニヤニヤしている家庭教師幼児様、リボーンは、ただおもしろがっているだけなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
 この家庭教師が現れてからというもの、綱吉の毎日はすっかり変わってしまった。何にもできないダメダメの綱吉を、マフィアのボスにするのだと言って、理不尽なしごきを与えてくる。おかげで、季節の移ろいにも気付かないような平坦な毎日は、すっかり波乱万丈になってしまった。それを「充実している」とは言いたくない綱吉である。
「四の五の言わずに、さっさと行って来い!」
 絶対に合法の手段ではないだろう(なんたってこの幼児は「マフィア」の「殺し屋」だ)、真夜中だというのにどうやってか開け放たれた出入り口に小さなあんよで蹴り込まれる。すべてを取り込むような漆黒の闇に包まれ、恐怖を感じる間もなく、背後から銃弾が撃ち込まれた。綱吉はすぐに「復活」して、だから、家庭教師がぽつりとこぼした呟きを、聞くことはなかった。
「まったく、どうなっちまったんだかな、ヒバリ?」

 ぼう、と橙色の炎が闇を照らす。綱吉はもう「死ぬ気で「ヒバリさん」を倒す」というそのことだけを実行する存在になって、真夜中の旧校舎の廊下を、パンツ一丁で雄叫びをあげながら駆け抜けてゆく。「怖い」だなんて死ぬ気の炎ですっかり弾き飛ばされてしまって、猛然と、二階にある応接室に飛びこむ。当然無人であるそこは、新校舎のある現在は久しく使われていないのだろう、揺らめく炎にもわもわと舞い上がる埃の影がうつった。
「オレは死ぬ気で、ヒバリを倒す!」
 暗闇に向かって宣言する。無人で、静まり返っている。そのはずの室内は、ふと、綱吉の宣言に、空気が揺れた気がした。なぜ応接室にそんなものがあるのかわからない、重厚な、執務机の辺り。
「そこか!」
 振り上げられた華奢な拳の先に、まず現れたのは金属の棒だった。綱吉は拳をほどいてそれを掴む。もう一本現れる。それも掴む。
 すると、その金属の棒の先から、すうっと根元までが視界にはっきりと現れて、トの字のようになった持ち手の部分を握る白い手が見えた。そうなると後はもう、白いシャツを着た腕、肩に学ランをひっかけた上半身、黒いズボンの下半身、その下の革のローファー、それから少し青ざめたように見えるほど白い肌の、黒髪で狐目の少年の顔のついた頭が現れて、ひとりの人間のかたちをとった。
「死んでなお迷いおって!」
 綱吉が理不尽にも真夜中の旧校舎へ放り込まれたのは、そこにヒバリがいるためであり、ヒバリがなぜここにいるかといえば、噂を信じるならば死んだ後も並中の風紀が気になって成仏できないからであり、そんな理屈で死ぬ気になった綱吉はヒバリに殴りかかった。
『ワオ』
 ついに姿を現した少年の、ヒバリの、狐目がさらにきゅうっと細くなり、嬉しげに、凶暴そうに、手に持った金属の棒(おそらくトンファーという武器だ)で、応戦してくる。
『生きるも死ぬも、僕にはどうでもいいことだけど。迷ってはいないよ』