沢田綱吉が草壁から連絡を受けて応接室に駆けつけた時、カーテンを閉めた応接室の真ん中にはビニールプールが置かれ、雲雀は水を張ったその中にちゃぷちゃぷとして、何か大きな本を読んでいた。いったい、座っているのか立っているのか、全く普段どおり白いカッターシャツの肩に黒い学ランを羽織った上半身のその下は、にゅるにゅるずるずると直視したくない何かが多数うごめいていて、事の次第はあらかた聞いてはいたが、その異様なシルエットを実際に目にするとやはり綱吉は、う、と怯み、戸口に立ち尽くした。後ろから、いきなり立ち止まんなこのクソツナが、と家庭教師に蹴飛ばされ、よろめきながら入室した。
「ヒ、っ、雲雀、さん、」
 何とか声をかけると、手に持った本に熱心に視線を注いでいた雲雀はぱっと顔を上げた。
「やあ、」
 機嫌は悪くなさそうだったが、何となく近づきがたく、綱吉は雲雀の腰から下がソファーに隠れて見えない、二メートルほど手前で足を止めた。
「そ、それっ、その姿、っ」
「ああ、目が覚めたらこうなってたんだ」
 雲雀はあっさりとしたもので、草壁から聞いた以上の情報は本人からも得られない。あまりにも何でもない風だから、綱吉も勇気を出して少しずつ、少しずつ、ビニールプールに近づいていったが、ビニールプールの縁から、まるで綱吉を招き寄せるように何本もの脚の先が姿を現して、つうっと床に水が垂れた。それを見るとびくりとして、身体は動かなくなってしまった。ごくり、と唾を飲み込んだ。
「……なあ、リボーン、ほ、本当にお前がやったんじゃないのか、」
「何度も同じことを言わせんじゃねえぞ、バカツナ」
 ボンゴレのおかしな科学のせいではない。骸の幻術の気配もしない。ぱしゃん、と水がはねる音がする。応接室は生臭いような磯の匂いで満ちている。こんなことは初めてのことだ。
「委員長から連絡を受けた時、申し訳ないが沢田たちしか心当たりがなかった。違うとしたら、これは厄介だな……」
 草壁が割れたアゴに手をやった。携帯で呼び出された草壁はトラックにタンク(容量二百リットル)を積んで海まで飛ばし、海水を満たしたあと雲雀邸へ向かって、ビニールプールを用意して待っていた雲雀をそのまま荷台へ乗せて、言われるがまま登校したそうである。部下の鑑だ。異様な姿の雲雀を見ても恐れもせず(内心はどうだか綱吉にはわからないが少なくとも態度には表わしてはいない)、ただ案じているだけな風なのもすごい。嫌悪などはないのだろうか、と綱吉は雲雀の腰から下にどうしても視線をやることができない自身を思うと、きゅっと冷たい手で心臓をつかまれたような気持ちがした。
「気分、とかは、わるくないんですか、」
 イカの部分が見られなくて、雲雀の顔を見る。もともと色の白い男だが、いつになく、頬が青ざめているように思えた。やはり動揺しているのだろうか、
「気分?海水があるし、とてもいいね」
 綱吉の言葉をどう思ったのか、大きな本を手に持ったまま、雲雀はくすりと笑った。今まで気にも留めていなかったが、雲雀はこんな時に何を読んでいるのだろうか、大判の本にはカラー写真がいくつも掲載され、細かい文字がびっしりと書き連ねられている。
「僕よりも、君の方が倒れてしまいそうな顔をしているよ」
 堪えきれない、というようにくすくすと笑い出した雲雀は、両手には本を抱えたまま、ぬるり、と綱吉の顔を撫でた。
 その下半身にうごめくイカの脚の一本で。
 ひっ、と息を呑んだ綱吉は身体が硬直してしまって動けない。柔らかで少しぬめった、透明な肌を持つ生きたイカの脚の感触、硬い吸盤が時折、かりりと頬を引っ掻く。